美術館に行ったら作品の一部になるなんて、知らなかったよ

このタイトルの元ネタは「大人になったらXBOX 360のコントローラになるなんて、知らなかったよ」(TechCrunch JAPANの記事)。3次元画像認識などによって身体動作をセンシングするコントローラを皮肉って、バスルームに貼られたステッカーの言葉がソレ。

kinect-bathroom

これまでのゲームは手に持つコントローラを使っていたけど、このKinectでは身体動作そのものがゲームへのインプットとなる。こうなると身体によってコントローラを操っているのか、身体がコントローラになって操られているのか、訳が分からなくなるんだろうね。そもそもゲームとは何?プレーヤとは何?って話から、それらを繋ぐコントローラ(インターフェース)って何って話になって、曖昧な状況が露呈してくる。

それで思い出したのが、いわゆるインタラクティブ・アートで、少なくとも構造上は、ゲームと同じお膳立てである場合が多いからね。手をかざすと音が鳴ったり、映像が煌めいたりするような作品はゴマンとある。ゴマンとあるのは構わないけど、なぜ手をかざすのか、なぜ変化が起こるのか、良く分からないのは困っちゃう。ましてや、その結果が凡庸だったりすると、かなりブルーな気分になる。

ともあれ、インタラクティブ・アートは観客の参加を要請するものの、要請された観客は「知らなかったよ」と思うことは当然だよね。ほとんどの人にとって、美術館に行くのは作品を鑑賞するためであって、作品に参加するためじゃない。もちろん、美術館という制度や鑑賞者の意識・認識なども絡む問題だけど、このことは作家として自覚的に考えるべきだと思うんだよね〜自戒も込めて(この項続く、かな?)。

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