目を閉じて見るセカイ

先日、セカイカメラ for iPadがメデタくリリースされました。カメラのないiPadでセカイカメラかぁ?と目が点になりそうですが、これがとっても示唆的な存在なのです。

iPad版セカイカメラが行なっていることは、ライブ・ビューの代わりに壁紙を貼付けること。そして、現在位置だけではなく、世界中の任意の地点(現在は11ヵ所)に移動できること。この2つ以外は基本的にはiPhone版セカイカメラと同じだと考えていいハズ。画面が大きいとか、フォト・タグは投稿できないとか、コンパスがないので自動方位調整ができないとか、細かな違いも少なからずあるけどね。

US特派員が送ってくれた画面キャプチャーはこんな感じ。彼は西海岸にいながら、エアタグを通じて秋葉原の様子が分かるし、現地にいるユーザとコミュニケーションも取れる。

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ちょっと思考実験をしてみるね。iPhone版セカイカメラを起動して、カメラの前に雲海の写真を置けば、雲海の上にエアタグが浮かぶことになる。エアタグは眼前の風景から切り離されるけど、そこに存在する情報に他ならないよね。さらにGPSを取り出して、そのGPSを万世橋交差点あたりに置いてみる。これで秋葉原周辺のエアタグが表示される。ついでにカメラの前にはアキバ街の写真を置いておく。これがiPad版セカイカメラの動作。

考えてみれば、もともとセカイカメラは2つの目を持っていた。ひとつの目はiPhoneのカメラで、その場の光景を見ている。もうひとつはGPS(とコンパス)で位置情報データベースを見ている。これまではそれらが同じ位置にあり、2つの視界が空間的に一致していた。だけど、iPad版ではカメラの目を閉じてセカイを見ることになった。もうひとつの目も幽体離脱してセカイを自由に飛び回っている。

それじゃ拡張現実じゃないという意見に対しては、その通り、と言うしかない。もっとも頓智・CEOイグイグによれば、セカイカメラはARに捕われないといった趣旨の発言をしていたから、希代の魔術師ウィリー・ウォンカーの面目躍如だよね。カメラの不在を逆手にとって、iPadでセカイカメラ(の発展形)を走らせてみせる手腕が鮮やか。

だから、目を閉じることで見えるセカイがあるんだよ、きっと。それを裏付けるように、セカイ各地の壁紙には絵葉書のようにコテコテの写真が選ばれている。これは明らかに意図的だよね。絵葉書がそうであるように、それは存在(感)証明でしかないってことを如実に示している。あるいは銭湯画の富士山だよね。居ながらにして世界旅行みたいな。

逆に言えば、目を見開いても見えないものがある。手で触れても感じられないものもある。五感は私たちの根底であり、他に替え難く重要だけど、それだけに終始していては延髄反射に過ぎないよね。五感を超えて感じ取るものこそが重要。目に見えないものを見るのがセカイカメラの本質だと思うけど、そう考えるとiPad版セカイカメラもしっくりくるハズね。ラブ。

目を閉じて見るセカイ” に1件のフィードバックがあります

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