iPadを待ちながら…

実際にはiPadは何台か手元にあるし、iPad用のアプリケーションも何本かリリースしているので、iPadそのものを待っているわけじゃないけど、iPadが国内発売されて多くの人が手にする前に、私が忘れてしまう前に、少しだけ書いておこうと思う。

それは2010年1月28日にiPadが発表された時に感じた印象に遡る。

「何それ?」

私もそうだったけど、多くのギークな人やスペシャリストな人は、それほど感銘を受けなかったんじゃないかと思う。新しいジャンルの製品が登場したことは間違いないが、それがあまりにも順当だったからね。その後にSDKをインストールし、シミュレータでiPadアプリケーションを動かした時にも、その印象は変わらなかった。

それはツマラナイくてガッカリという否定的な印象ではなくって、当たり前過ぎて違和感がなさ過ぎるって感じ。すぐ横にiPadがないのが不思議なくらいで、鞄を開ければそこに入ってるんじゃないかと思っていた。4月になってiPadを手にしても、昨日までなかったような気がしない。ずっと以前から使っていたような錯覚に陥る。

だから「大きなiPod touchでしょ」という見方はまったく正しい。

what_is_ipad

一方で、周辺ではiPadが欲しいというフツーの人の声が多かった。街で使っていると「それiPadですか?」とフツーに人に声を掛けられる。最近ではiPadをフツーの人が予約したという話をよく聞く。5月末の発売以降iPadを目にする機会が多くなれば、iPadを購入する人が飛躍的に増えるんじゃないかな。もしかしたら、iPhone以上にiPadは売れるかもね。

Steve JobsはiPhoneを電話の再発明と言ったが、iPadはコンピュータの再発明なんだよね、きっと。そしてiPhoneが電話どころではなかったように、iPadはコンピュータどころではなくなる。iPhoneによって世界が変わることを目のあたりにしたけど、iPadによってさらに世界が変わってしまう。それは専門家の御託ではなく、フツーの人のフツーの感覚によって成し遂げられるんだ。それがAppleの閃光のように研ぎすまされた創造と戦略ゆえだとしてもね。

…と情緒的な文章しか書けないくらいに、iPadは正しい。

【追記】冒頭に書いたように、私は至って冷静と言うか醒めてるんだけどね。

iPadを待ちながら…」への5件のフィードバック

  1. mori/irom

    ipadは子供の教育にも良い。という記事を読みました。某大学ではipadを学生に配るそう。羨ましいw
    ボクは子供の教育に役に立つから!とかみさんに必死におねだりですw

    今度の木曜日楽しみにしています!

    返信
  2. みみなし

    赤松先生のエントリー読んで、「なるほど!」って思いました。
    僕がiPad要らないって思ってる理由って、たぶんこれなんですよ。
    iPadは単に、今までコンピュータがすべきだったことがやっと実現されただけの製品で、これで何か世界が変わるとしたら、単に今まですべきだったことが行われるだけだと思うんですよね。

    iPadは今自分がやりたいこと、すべきことと照らし合わせて、学生の微々たる経済力の中から予算を割くものではないと考えました。
    # 今自分がやりたいことに合致しているのは多分、タッチパネルもWiFiもついてない、部品が剥き出しのボードです。
    ただ、iPad面白いし欲しいのは確かなので、お金に余裕ができたらたぶん買うことになると思います。

    自分のやりたいことも、iPadでできたら当然いいんですが、それだとAndroid派の一部の人たちと同じ論調になってしまうのでやめておこうと思います。

    返信
  3. Masayuki Akamatsu 投稿作成者

    mori/itomさん、 子供さんの教育のためにもマスト・ハブですね。テレビの代わりに(テレビを遥かに超えて)一家団欒にピッタリだと思いますよ。

    返信
  4. Masayuki Akamatsu 投稿作成者

    みみなしさん、 専門家はコンピュータを使わざるを得ない(開発ができないから)んだけど、その他すべての人はiPadになるかもね。今までコンピュータがすべきだったことが、なぜ、今までのコンピュータではできなかったのか?ってのも重要かも。

    返信
  5. ピンバック: [朝刊]アップル、iPadのSIMロック関連について公式コメント。SF市内でネットが繋がる喫茶店を教えてください!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA