Snowflakesについての駄文

来年早々(?)に出版されるContemporary Music ReviewのテーマはGenerative Musicだそうで、Artist Statementを求められて、ちょこっと文章を書きました。 それが今週末に行なうSnowflakesネタなので、来年まで待ってられないってことで、原文(日本語)を載せておこうと思います。

Statementになっていないじゃないか?という意見もあろうかと思いますが、制作進行の真っ只中に忘れていた原稿締切日がやってきたので(苦笑、しかも英訳しなければならない)、そんなこんなで〜という言い訳です。さらには、実際にはどうなるんだい?という疑問をお持ちの方は、9/27(土)のコンサートにお越し下さい。iPhoneオーナーのご参加も引き続き募集中ですので、こちらもよろしくお願いします。

Snowflakes

コンピュータは死んだ。少なくともデスクトップ・スタイルやラップトップ・スタイルのコンピュータは死んだ。かつて大型コンピュータのバッチ処理によってバイナリー列を計算して音楽を作り出していた(ありがとう!Max Mathewsら先駆者の皆さま)のが今日では信じられないように、やがてデスクトップやラップトップで作曲したり、演奏する人がいたことを不思議に思うだろう。

私は1999年に「incubator」と名付けたプロジェクトを行なった。この作品では、50台の初期iMac(CRTディスプレイ!)を会場の床面にグリッド上に配置し、それぞれをEthernetを用いて接続してローカル・エイア・ネットワークを形成した。iMacの内蔵マイクロフォンを入力として用い、内蔵ディスプレイと内蔵ステレオ・スピーカーが出力として用いた。つまり、このシステムは、50個の音声入力、50個の映像出力、そして100個の音声出力を備えていることになる。もちろん、iMacはCPUを備えているので、それぞれが独立して処理を行ない、Ethernetを通じて相互に情報を遣り取りすることができる。

http://www.iamas.ac.jp/~aka/incubator/

「incubator」の主要な狙いのひとつは、ネットワーク型の音楽を、目に見えて耳で聞こえる形態として、現実の姿として提示することにあった。大半のコンピュータ音楽は、孤高の作曲家、バーチュオーゾばりの演奏者、あるいはオーケストラの指揮者などのように、音楽の中心に音楽家個人を想定した中央集権的な音楽である。そこで、「incubator」では、自律分散的な処理と観客との相互作用によって、新しい形態の音楽の可能性を探ろうとしていた。

「incubator」から、およそ10年を経過した今日、コンピュータは進化し、掌に載るようになった。それはコンピュータとは呼ばれず、iPhoneと呼ばれる携帯電話として存在している。そこで私は、iPhoneを用いて「incubator」に似たネットワーク・システム型の作品を制作している。最初の作品は「Snowflakes」と名付けられており、Fredrik Olofsson氏と安田到氏とともに、2008年9月に大垣(日本)で、2008年10月に上海(中国)で上演されることになっている。

http://akamatsu.org/snowflakes/

「incubator」と比較して「Snowflakes」は、単純にはiMacをiPhoneに置き換え、EthernetをWi-Fiに置き換えたと考えれば良い。しかし、大きな違いは、観客はiPhoneを持って自由に参加し、移動し、立ち去ることができる点だ。しかも、iPhoneは我々が用意するのではなく、観客のポケットに入っているiPhoneを使わせていただくことを想定している。つまり、「incubator」は固定されたクローズド・システムであったが、「Snowflakes」はフレキシブルなオープン・システムになっている。この世界で何が起こるだろうか?

コンピュータやネットワークの形態によって音楽が変わるのだろうか? iMacからiPhoneへの形態の変化は明瞭だが、その違いは音楽に反映されるというのが私の意見だ。PAシステムやレコーディング・システムが登場した時に、どのように音楽が変化したのかを思い出そう。iPhoneもまた途中段階に過ぎない。やがて、指輪やネックレスのようなウェアラブル・コンピュータが現れるだろうし、やがてはコンピュータはインプラントされ、身体に溶け込むだろう。そのような世界を想定して、私は作品を構想したいと思っている。もはや、古びたコンピュータを使ってはならない。

(文責:赤松正行)

 

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