4/15は神戸で講演

4/15は神戸ITフェスティバル2011で講演をさせていただきます。神戸は長く住んでいたところですけど、最近は訪れる機会がなかったので楽しみです。しかも大震災後なので何かと連想しちゃうことも多いですね。

講演はアート(芸術)とテクノロジー(技術)のコンプレックス(複合体、または強迫観念)を巡る与太話で、いつもの調子で現前する此の方から妄想の彼の方へ参りたいと思います。他の方のセミナーは実践的なものが多いようですので、ちょっと毛色の変わった息抜きとして楽しんでいただければ幸いです。ご都合がつきましたら、是非お越しください。

kobe-it-festival-2011

神戸ITフェスティバル2011
講演「アート・テクノロジー・コンプレックス」

 日時:2011年4月15日(金) 16:15〜17:00
 会場:神戸市産業振興センター 2Fセミナースペース
参加費:無料

4/12から大垣でギークラボ

先週の裏モバイルカフェでのミーティングを経て、いよいよ今週からギークラボ(geeklab.jp)を開設することになりました。前回を第0回として本日4/12は第1回のミーティング。とは言え、当面は広報的なことはいたしませんし、ギークラボが何かも曖昧模糊なままになります。ご興味のある方は、ぜひ辿り着いて入り込んでくださいませ〜って感じ。

geekcafejp

不親切かもしれませんが、理由のひとつには、明確なポリシーを決めずに自然発生的に柔軟に運営したいってことがあります。ただ、以前のモバイルカフェが広く浅くオープンでフリーだったのに対して、ギークラボは狭く深くクローズドでペイドになりそうです。言わば秘密結社(笑)やギルド(笑)なので、一般には情報もあまり流れないじゃないかな。

明文化せずに運営するってことは「契約」ではなく「信頼」に基づくってことで、これはかえって大変。でも、「規模」や「位置」ではなく「密度」や「速度」を求めるなら、必然的に不文律の活動になるのかも。そんなこんなでユルユルとがんばりますよ〜乞うご期待!

4/7は大垣で裏モバイルカフェ

4月7日にJR大垣駅前のiamasOSにて裏モバイルカフェを開催します。今回は特にテーマを設けず、モバイル関連の与太話から情報交換まで楽しくフワフワといたしましょう。DJやドリンクも入ったりするのかしら?(>誰となく…)

この裏モバイルカフェは3/14のiPad2大会に続いて2回目になります。本家モバイルカフェが不定期延期状態なので寂しいな〜と思われていた方も、これまで都合がつかなかった方も、是非ご参加ください。駅前なので名古屋圏などからも参加し易いですよね(名古屋からJRで30分)。車の方は駅北のショッピング・モールとかのお買い物ついでに立ち寄っていただけると良いかも。

back-mobile-cafe-2

また、従前とは違った雰囲気で今後も継続するために、どのような形態が有り得るかも話し合いたいと思っています。本家モバイルカフェ(が再開されるとして)との差異もあったほうがいいよね。あくまで個人的に考えているのは、こんな感じ。

・少数の参加者(会場が広くないため)
・ギークを対象(素人さんお断りとか)
・実践的な活動(独自プロジェクトとか)
・基金等の設立(自主企画なので予算ゼロ)

そんなこんなで是非よろしく〜!

裏モバイルカフェ(ギークカフェ?モバイルラボ?)
日時:2011年4月7日(木)19:00〜21:00
会場:iamasOS
   大垣市高屋町1丁目大垣ビル1階 【地図】(JR大垣駅南側徒歩1分)
(事前申込不要、参加費無料)

【追記】上記写真は会場で撮影されたものではありません。

アトミック・カフェ

1979年のポップ・ソングにも1982年の映画にも関係ないんだけど、昨今話題のゲンパツはカフェ化するといいと思う。最初に断っておくと、私は原子力にもエネルギー問題にも政治にも素人だし、きちんと勉強しているワケでもない。だけどチョコっとはインフォメーション・テクノロジーやメディア・アートに関わる人間として幻視することは、現状の原子力のようなモンスター・テクノロジーは遠からず終焉を迎えるだろうってこと。逆に原子力が生き残るとすれば、カフェのような存在になるべきね、と思う。

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まず、素人には、原子力は人が制することができない凶暴な力なのか、あるいは、制御できるとして、そのトータル・コストが他の発電手段より高価なのか、それは分からない。さまざまな見地からの目論みや試算はあるだろうけどね。さらには、そもそも論として電力が必要なのか否か、電気なしの生活や社会が有り得るのか、といった疑問には立ち入らない。だって電気便利だから(苦笑)。

さて、原子力は素人には手も足も出せない高度な技術と膨大な資金を必要とする。だよね?だから最高学府の最高叡智を集め、国家と巨大企業が多額の予算を投入してきた。それでしかできないから。それでしかできないってことは、それが独占的地位を占めるってこと。そして、独占は莫大な利益を生み出す。これは止められない止まらない。だから独占は死守しなくっちゃね。かくして、それは何重ものヴェールに包まれ、神格化、秘儀化していく。

ところが、神殿はハリボテで神官は無能だってことが露呈しちゃったのがフクシマ。長年の独占と隠蔽は、必ず怠惰と腐敗を生み出すのは歴史が何度も証言してるよね。しかも、これ暴いたのはジシンとツナミ。決してヒトではないのが此の国の習わし。誰もが無力感を感じてジシュクに熱中している。

それじゃ、どうするんだい?ってことで連想するのはインフォメーション・テクノロジー。原子力と同じ頃に誕生したのがコンピュータ。その頃はコンピュータも神殿だったし、神官が奉ってたんだよ。これがメインフレームと呼ばれる大型コンピュータで、今日でもシワケられたり、ミズホ事件を起こしたりしてる。これも独占と隠蔽と怠惰と腐敗の末路。

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ただし、インフォメーション・テクノロジーが幸運だったのは、やがてミニコンが生まれ、パソコンが生まれ、そしてモバイルに至ることができたってこと。つまりテクノロジーの人民解放、遍在化、素人化ね。モバイルやインターネットも根源は国家や大企業が握っていることには変わりないものの、それでも大衆化が駆動力になっているから随分と健全だと思う。原子力の素人化なんて聞いたことがないからね。

と、まぁ、神殿とか人民解放とか随分とステレオタイプなアナロジーだけど、インフォメーション・テクノロジーが成し得たことをパワー・テクノロジーにもして欲しいワケ。それが原子力であっても構わない。人目を避けた禁止区域じゃなくって、街角に小さな発電所を沢山建てる。カフェのようなマイクロ・グリッドね。ピコ・リアクターをポケットに入れるのもいい。

それが危険だとは言わせない。逆だよ。人のすぐ傍でも問題がない安全性を実現する。それがカガクシャやギジュツシャの仕事。なにしろ数十年前にはコンピュータを素人に触らせなかったけど、今じゃ子供だってiPhoneで遊んでるし、ちっとも危険じゃない。それなりのリテラシーは小学校で学べばいい。

つまり、聖域化されるモンスター・テクノロジーは要らない。素人にも開放されたスマート・テクノロジーこそが素敵。同じように考えるとモンスター・メディアたるテレビや新聞も要らない。いつまで「意志の勝利」を続けるの?(レニ最高!)馬鹿や間抜けがいてもソーシャル・メディアのほうが何十倍も機敏で有益でしょ。同じことは他にもいくつも例を挙げることができる。

okeanosbuoys

さらにこれを自分の領域で言うと、モンスター・アートは馬鹿げてると思うから、モバイル・アートに興味津々なのね。高性能で強靭なスピーカ・システムで爆音を鳴らしたり(私?)、ビルのような巨大なスクリーンに映像を打ち出したり(私?)、前世紀的な悪趣味としか言いようがない。人々をひれ伏せさせるような威圧的な表現ではなく、人々に寄り添うような繊細で優美な表現に向かいたいワケ(照笑)。

以上、エプリル・フールのエントリーでした。

小さな作曲家の物語

開発秘話ってほどでもないんですけど(笑)カール・バルトス氏とジャン=マルク・レダーマン氏との共作「MINI-COMPOSER」の制作過程で印象に残ったことをメモ程度に….

まず、私は受託開発の経験が少ない。それがヤなわけじゃないけど、自分のことだけでテンテコマイってのが実情。数少ない例外はiPhone黎明期のクウジットさんの「ロケーション・アンプ for 山手線」と頓智ドットの「セカイカメラ」(初期バーション)くらいかな。いずれも大きなお題はありつつも、具体的には自由にアイディアを投入させていただいた。もちろん、相手は日本人だから日本語でディープな議論も遺憾なくできる。

これに対してMINI-COMPOSERでは、当初から50-50の対等の関係で制作することが前提。だからカールのアイディアも私のアイディアも同じように尊重され、折り合いをつける必要がある。何をどのように作るかという根底部分での合意形成が重要なワケ。でも、お互いに相手の趣味趣向まで理解しているわけじゃないから、これが大変。

しかも、直接会って話し合うことも難しいし、英語でのメールの遣り取りも頓珍漢気味(彼らも英語ネイティブではないはず)。Skypeも悪くないけど、じっくり考えるには適さない。テクノポップ界の大御所に対する配慮&遠慮も一応ある(笑)。ex-KWとダイアトニック・スケールとは何ぞやと応酬するは大変だよ。A#とB♭の違いとかね。

さて、スタート地点は「シンプルなステップ・シーケンサでドラムとサイン波だけ」というもの。それは簡単、アっと言う間にできるよね。でも、それだとカールらしさがどこに発揮されるのかが分からない。それにシーケンサと言われると音楽制作ツールとの印象が強くて、あれも必要、これも必要と思ってしまう。初期の設定画面はこんな感じで、もっと壮絶なバージョンもありました。

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このようなプロトタイプが叩き台になるんだけど、UIのスケッチや操作のフローを描いてくれと頼んでも、短い文章が返ってくるだけ。これは勝手な想像だけど、彼らは音楽脳なのでUIや操作を図式化したり、言語化するのは苦手かもしれないね。フツーの請負プログラマなら途方に暮れちゃいそう。

ともあれカールが一貫して主張していたのは、とにかくシンプルにしたい、ってこと。だから、テンポ設定は要らない、ボリューム設定も不要、波形設定もナシ、ピッチ設定も面倒…という具合で、とうとう設定画面自体が消滅。なんだかドイツ人にワビ・サビを教えられている気分(笑)。

かくしてベースもなければ調性も固定のシーケンサになった次第。だけど、サウンドの作り込みは猛烈ダッシュ状態。結構いいんじゃない?と思っていても、気に入らないので全部入れ替えるから待ってろ!みたいな調子。さすがボクはオンガッカです。絶妙のキャラクター付けで、設定が皆無でも(むしろ、それゆえに)最高に楽しめますね。ツールと作品のちょうど中間地帯にうまく降り立ったんじゃないかな。

一方で私の役目と言えばアプリ制作そのものなんだけど、プロトタイプを提示してUIをまとめながら、オーディオ・エンジンの調整に力を入れてました。最初はシーケンスをperformSelectorやCALayerなどでお茶を濁していたものの、サウンドがカッコ良くなるにつれてツラくなり、最終的にはCoreAudioのオーディオ・レイトでビシバシ駆動。これでアニメーションなどもベクター・サイズ(+α)での誤差になり、かなりタイトになったと思うな。

さらにはバカでかいアニメーションを入れたり、ランダマイズ機能やスクラッチ機能を入れたり。このあたりはプチ・アルゴリズミック・コンポジションなワケで、MaxやSuperColliderで散々やってきた秘伝の味(笑)。でも今回は軽くフレイバーをまぶした程度ね。ちなみに、この手のアイディアは事前に説明せずに、実際に動かして、どう?と尋ねるのがイイみたい。

未だにスッキリしないのはグラフィック・デザイン。何しろセンス・ゼロの私がやっているから、情けないことこの上ない。知人のデザイナに手伝ってもらおうか?と持ちかけたものの、そのあたりは不満がない様子。考えてみれば、どこか間抜けなダサカッコイイ感じが持ち味だよな〜と思い、強制的に納得しています。

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他にも小さなエピソードや公表が憚られる話もありますが、全体としては楽しい作業で、見知らぬ他人とのコラボレーションとしては大成功だと思うな。もともとは私のSnowflakesOkeanos Buoysのビデオを見て興味を持ったそうで、求める感性に近いんでしょうね。

それから、当初はモタつき気味だった制作テンポが中盤以降どんどん加速するあたりは圧巻でした。特に震災支援を考えると、モタモタしていては意味が薄れるので、一日でも早く完成させる原動力になりました。音楽もアプリも下手をすれば延々とイジリ続けちゃうから、お尻に火をつけることはイイことです。Light My Fire !

日本へのシーケンス

元クラフトワークのカール・バルトス氏とともに制作した新しいiPhone用のアプリケーション「MINI-COMPOSER」をリリースしました。これはシンプルな16ステップ・シーケンサであると同時に、東北関東大震災への支援を呼びかけています。無償でダウンロードすることができ、iPhone、iPod touch、iPadのどのモデルでも動作します。

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カールやジャン=マルク(プロデューサ)とは少し前から親交がありましたが、地震や津波による悲惨な状況を受けて、このアプリによって震災支援の呼びかけることにしました。彼らは地震発生時に安否確認と見舞いのメールを送ってくれたし、震災支援を提案するとすぐさま大文字太字で OF COURSE ! との返事をもらっています。その心意気たるや感涙ものです。

震災支援としては救援物資や義援金、作業ボランティアや支援チャリティなどいろんな方法があります。また、災害や復興に役立つアプリの無償提供やアプリの収益金の寄付なども既に行なわれています。一方で私たちはアーティストなので、アーティストとしての支援を考えました。もっとも得意なことで貢献する方策があると思うからです。

つまり、このアプリは一義的には、ただただ私たちの音楽であり、インタラクティブな要素を持たせたエンターテイメントです。被災者の方々はもちろん、そうでない人も、この音楽アプリにちょっとした愉しみを見い出していただければ嬉しい。シンプルなシーケンスの連続に、心が和らいだり気持ちが晴れやかになったりするなら、さらに嬉しい。

そしてインフォメーションを開くと、そこには震災支援を呼びかける短い文章と米国赤十字社の寄付サイトへのリンク・ボタンがあります。このアプリを音楽として楽しむとともに、被災地の状況に思いやる人が少なからずいらっしゃると期待するわけです。ちなみに、米国赤十字社へのリンクは、App Storeのアカウントで手軽に寄付が行なえるので、iPhoneアプリとして最適と考えました。

mini-composer-2

カールと私は多くの人にこのアプリを知っていただき、震災支援をされる方が増えることを願っています。ですから、このアプリを一人でも多くの友人や知人に紹介していただけると、とても有り難いです。そのためにもアプリは有償ではなく無償であり、当然のことながらカールも私も金銭的な利益を得ることはありません。どうか、ご協力くださいますようお願い申し上げます。

ピュアなデータをiOSで

Maxの実父と言うか異母兄弟と言うか良く分からないですが(笑)、Pd (Pure Data) はMaxに似たビジュアル・プログラミング環境。MaxとPdは同じとも言えるし、全然違うとも言える、なかなか奇怪な関係にあります。詳しくは面倒なので省略。パッチと呼ばれるグラフィカルなプログラムはこんな感じ。

pd

それで、このPdをiOSで動かそうというプロジェクトがPd for iOS。以前はRjDjがPdベースってことで少々話題になりましたが、その一般化が進んでいるようです。ただし、現時点ではアルファ版なので、いろいろバギーだったりします。

Xcode 4でPd for iOSを試すには、次のような手順になります。

  • Xcodeを起動し、Organizerを開き、Repositoriesを選ぶ。
  • 左下の+ボタンをクリックし、Add Repository…を選ぶ。
  • Nameは Pd for iOS、Locationは git://gitorious.org/pdlib/pd-for-ios.git と入力し、Addボタンをクリック。
  • 左側のリストの Pd for iOS を選択し、Cloneボタンをクリックして、クローンを作る。

これでpd-for-iosというフォルダが作られますが、もう少し作業をする必要があります。これはREADME.txtに説明されている通りです。

  • ターミナルを起動する。
  • cdコマンドでpd-for-iosフォルダに移動する。
  • 次の4つのコマンドを実行する。
    • git submodule init
    • git submodule update
    • git pull
    • git submodule update

これでPd for iOSのインストールは完了。後はPdTest01やPdTest02などのサンプルを試してみてください。まぁ音が鳴ったり、鳴らなかったりしても文句を言う筋合いじゃないですね。Pdはオープンソースのフリーウェアであり、伝統的に自己責任&自己解決が原則ですから。

個人的にこの手の試みで興味があるのはGUIの扱いなのですが、Pd for iOSはInterface Builderを使ってGUIアイテムを貼付ける正攻法。そして、アクションやアウトレットを定義して、専用のメソッドでPdのrecieveオブジェクトに送り込みます。なんだか豪快な感じもしますね。

pd-for-ios

トップページ・コレクション 2

3/19午後の時点での東北関東地方の県庁WEBサイトのトップページ(青森、秋田、山形を除く)。左上の文字化けしているサイトは岩手県(charset指定してね)。

toppages2_m

同じく3/19午後の時点での中央省庁WEBサイトのトップページ。全省庁ではなく順不同。
toppages3_m

緊急モードらしい東北三県はともかく、基本的に官公庁はゴチャゴチャ・ポータルで何が重要なのか、自分が欲しい情報がどこにあるのか、さっぱり分からない。パっと見た雰囲気もコレどうなんでしょう?ってのが多い。情報デザインする人がいないんでしょうね。

アイの文化的遺伝子

iPad 2を手にして、そして数日使って思うのは、これはiPadだということ。先週まで使っていたiPad 1と何も変わらない。もちろん、並べてみればビックリするほど薄いし、ちょっとだけ軽い。処理は格段に速いし、手に馴染む感じも向上している。画質はトホホでもカメラは可能性を拡げていて、スマート・カバーの工芸的繊細さにウットリする。だけど元々こうだったんじゃないかと思ってしまう連続性と納得感があるんだよね。

ipad2-and-smartcover

これはiPhoneでもiPodでも、さらにはMacでも同じように感じること。言わば、リチャード・ドーキンスが言う文化的遺伝子(ミーム)が各製品を通じて脈々と受け継がれているってことじゃないかな。つまり、デバイスは、あるいはOSは、その時々の最上の表現形ではあっても、常に最終形は存在しないし、常に進化し洗練されていくハズね。

だから、ドラスティックな外観や機能の変化に目を奪われる必要はない。欲しい時が買い時と鷹揚に構えていてもいいし、同時に、真っ先に最新モデルを購入し続けるのもまた正しい。新しいiPad 2は確実に大きな満足を与えてくれるし、これまでのiPad 1も同じように活躍し続けるだろうからね。

iPad 1とiPad 2との違いは、iPhone 3GSとiPhone 4の違いを思い起こせばいい。旧モデルが安価になって併売されるのも、文化的遺伝子が同じだからだろうね。逆に廉価であっても文化的遺伝子が損なわれるようなモデルは登場しないと思う。ただし、例外は最近のiPodで、Classic、Nano、Shuffleは末期的症状を示している気がするな。

同じように考えると、Androidに欠けているのは文化的遺伝子に他ならないと思うよ。そもそもが形態として頭脳と身体が分離している上に、伝えるべき遺伝子が存在しないように見えるな。情熱を持って取り組んでいる人は沢山いるから、心まで欠けているとは思わない。だけど、アンドロイドだから遺伝子は要らないってことじゃないよね。がんばれ、緑ロボット!